月と蟹  道尾秀介

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学校に居場所を見つけられない五年生の慎一と春也は、見つけた秘密の場所でヤドカリを飼い始め、それを神様に見立てて願い事をするようになります。危うい予感をはらんだ遊びは、同じクラスの鳴海が二人と一緒に行動するようになってからバランスを崩していきます。

ミステリではありません。殺人も起きません。ヤドカリは大量に死にますが…。全体的に淡々とした印象で、道尾さんらしい大仕掛けも今回はなしです。慎一たちの願いを叶えている本当の「ヤドカミ様」は誰なのか、慎一の机に手紙を入れているのは誰なのか、ということも早いうちから予想できます。

この物語でメインとなるのは子供たちの心理です。慎一は、母親が誰かと交際していることを知り、不安を募らせていきます。春也は父親から虐待を受けています。鳴海は、事故で母親を亡くし、その原因は慎一の祖父なのです。それぞれ、胸にやり切れないものを抱えていますが、それは子供ではどうしようもないことです。子供達はその思いを「ヤドカミ様」に託します。自分が切望しても叶えられない願いを、ヤドカミ様は叶えてくれる…そんな幻想を現実にしようとした時、何かが狂い始めてしまったのですね。ヤドカリを火であぶる執拗な描写が、子供達の心に燻る暗いものをあぶり出しているように思えます。

全体のトーンは「球体の蛇」に似ていますが、登場人物に共感できる点で「球体~」とは違います。特にお祖父さんの存在は大きいですね。自分も痛みを抱えながら、慎一のことも「あんまし腹ん中で、妙なもん育てんなよ」と、きちんと見つめてくれる人です。祖父が病床で慎一に話した「月の光に照らされて、自分の醜さに気づく蟹」についての話は、慎一自身の姿につながります。春也の心理についても最後まで気になりましたが、私が最初に思っていた以上に複雑な思いを抱えていたことに気づきました。慎一が、自分の姿に気づくことができたこと、春也が現状を打破しようと行動できたことは、この物語の明るい要素だと感じました。

「大人になるのって、ほんと難しいよ」
「― 大人も、弱いもんやな」
物語を通して、子供達は一歩大人に近づいたのかも知れません。大人になるって難しい、と今でもつぶやいている私がいます。いったい人はいつ大人になるのでしょうね?