f植物園の巣穴  梨木香歩

イメージ 1

f植物園に勤務している佐田は歯の痛みを感じて歯医者に行きますが、歯科医の家内は何と犬に姿を変えていました。それを始めとして、不思議な出来事の数々が佐田を取り巻きます。異界のものとの交流を描く内容と、言葉が美しく、日本の自然の良さを感じる文章は「家守綺譚」の世界と通じるものがあります。

表紙も素敵です。小石川植物園の植物図からとられた、繊細な秋海棠の絵が飾っています。扉絵は牡丹です。古風なこの物語を彩るにふさわしいカバーです。植物園が舞台なだけあって、さまざまな植物や生き物たちが生き生きと描かれて、その一つ一つを思い浮かべながら読むのも楽しいです。

佐田は植物園の水生植物園に「隠り江」と名前をつけ、どのように植物を植えて、それに合った水の流れにしようかと苦心します。この物語では水が大きな意味を持ち、出てくるもの達もナマズ神主、烏帽子をかぶった鯉、カエルに似た子供と、水に住むものばかりです。水生植物の中ではムジナモについての描写が詳しく、その食虫植物としての特性がユニークでした。
佐田がもう一つ気にしているのが千代の存在です。佐田が子供の頃家にいたねえやのお千代、そして亡くなった妻の千代です。お千代は里に帰ったままいつの間にかいなくなり、妻の千代とはじゅうぶんに心を通わせないままでした。夢とも現ともつかぬこの世界で過ごしながら、佐田の心はたびたび二人のところへ巡って行きます。
そのうちに佐田は自分が植物園の椋の木のうろに落ちたことを思い出します。気を失っている間に見た夢というより、この物語は佐田の心の中を巡る旅なのでしょう。

この世界に住むもの達にいざなわれて、自分がなぜここへ来たのか、失っていたものは何なのかということに佐田は少しずつ気づかされます。カエルに似た子供との交流には、ああそうだったのか、と胸を衝かれる思いでした。また、二人の千代を巡る出来事について明らかになった時には驚きました。それまでのことが全て符合し、異界での出来事ということを巧く使った展開に感心しました。「為すべきは家の治水」という稲荷の変化の声は、文字通りの治水ではなく、自分の家と家族に目を向けなさいということだったのではないでしょうか。元の世界に戻ってきてからの佐田の変化、そして訪れた幸せは、家の治水が滞りなく行われたということなのだと思いました。

やはり私は梨木さんの作品世界が好きだなあと感じさせられました。この本が2010年最後の読了本になりそうですが、気持ちの良い読書ができて良かったです。