アンドロイドは電気羊の夢を見るか?  フィリップ・K・ディック

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私設図書館にあったはず…と探しに探してとうとう見つけることができず、100円で買ったこの本です。表紙はリアルな羊さんバージョンのを手に入れることができたので、まあよしとします^^;やっぱりなくす前に読む、これですね^^;

終戦争後、死の灰が降り注ぐ地球では多くの生き物が死滅し、惑星移民計画によって移住を進める中、地球に残留する人々もいました。人々にとっては生きている動物を手に入れることがステータスでした。アンドロイドを狩るバウンティハンターのリック・デッカードは、高額な本物の動物を手に入れるために、高性能アンドロイドを狩る仕事を引き受けます。

映画化の「ブレードランナー」は見ていましたが、噂通り、原作はかなり違いますね。
まず、ほんとに電気羊が出てくる話とは思いませんでした^^;比喩的に使われているだけかと思っていました。生きていた羊を病気で亡くし、作り物の電気羊しか持っていなかったリックは、本物の動物を手に入れるために命をかけます。映画では全く省かれていた部分なので驚きました。動物のカタログを肌身離さず持っているリックに泣けます;;

この作品の大きなテーマは「人間とは何か」ということなのですが、人間と、どこから見ても人間にそっくりなアンドロイドの差はどこにあるのかということに焦点を当てています。

情調オルガンという、感情を操作する機械があって、「割り切った職業人的態度」とか「テレビを見たくなる欲求」とか「夫の優れた判断を快く受容する態度」とかユニークなダイアルがたくさんあります^^;
そんな機械で感情が操作できるなんて、人間がより機械に近づいているのでは?とも思われますが、電気羊と知りつつ一生懸命に世話をする様子や、マーサー教の共感ボックスによって他の人間と感情的につながる経験を求めるところなど、アンドロイドと人間を区別する指針「人間は感情移入をすることができる」ということを感じさせます。
一方、アンドロイドの方は人間と同じように行動することはできても、無慈悲で冷淡な一面をもっていることが示されています。
映画ではそのあたりが曖昧で、レプリカント(アンドロイド)の悲哀に焦点が当てられていて、レプリカントの感情はほとんど人間と差がないものになっています。
映画ではアンドロイドのリーダーであるロイ(ルトガー・ハウアー)はハリソン・フォード以上に目立っていましたが、原作ではロイはチョイ役で、リックがアンドロイドに抱く複雑な感情が中心になっています。

原作であれば、題名「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の問いの答えは「N」かな…と思います。電気羊にも生きている動物と同じような感情を投影できないと、そういう夢は見られないですよね?
「電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも」というリックの言葉がそれを象徴していると思います。
ですが、そう考えるとアンドロイドにも生命があるわけで、そこがリックの心の揺れにつながっていたのかなと思います。映画のような人間的なアンドロイド、人間の中にある非人間性、そんなことを考えると、リックのように複雑な気持ちになりますね。

終始雨が降り続き、陰鬱なムードのある映画と、ユーモアさえ感じさせ、人間の温かみを感じる原作、全く違いますが、それぞれの良さがありました。まだどちらか未見の方でしたら、両方ご覧になることをおすすめします^^