村田エフェンディ滞土録  梨木香歩

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「家守綺譚」にもちらっと名が出てくる村田が、文化の研究のため土耳古(トルコ)のスタンブール(イスタンブル)に留学した日々を描いています。「エフェンディ」というのは学問を修めた者に対する敬称だそうです。明治時代なので、外国語名は全て漢字表記です。希臘って読めますか~?正解はギリシャです。大変なのでこのあとは全部片仮名で^^;

まず感じるのはトルコという国の空気です。多民族が混じり合い、丸屋根に尖塔を始めとした様々な建物が建ち並ぶ町並み、敷石に土壁、照りつける日差し…。全く知らない、しかも明治時代の異国を、肌で感じさせるような描写が素晴らしいです。

村田が下宿した家には、家主でイギリス人のディクソン夫人、下宿人の、ドイツ人のオットー、ギリシャ人のディミィトリスの2人、トルコ人の使用人ムハンマド、そしてムハンマドが拾ってきた鸚鵡がいます。
この鸚鵡が秀逸です^^最初から覚えていた言葉は「悪いものを喰っただろう」「友よ」「いよいよ革命だ」「繁殖期に入ったのだな」「失敗だ」の5つで、それを鸚鵡なりに雰囲気を察するのかタイミングよく繰り出してくれます(笑)例えば、ムハンマドでなく夫人が料理を作った時に限り「失敗だ」場がしんみりとしている時には「悪いものを喰っただろう」餌がほしい時には「友よ!」etc…^^;それにプラス、新しく覚えた「もういいだろう(It's enough)」
当意即妙の言葉に笑わされますが、最後にはこの鸚鵡に涙することになるとは…。この物語になくてはならない重要な役割を担っています。

下宿のみんなで議論をしたり、一緒に発掘に行ったり、不思議な出来事にあったりなど、村田は忙しくも充実した日々を過ごします。同じくトルコに来た日本人が困っている時に、思いがけず下宿人の優しさに触れて感激することもありました。エピソードを重ねる中で村田と同じように、登場人物達にだんだんと親近感をかんじるようになりました^^
多民族がいるということで、神についてのエピソードが多かったのが印象的でした。

しかし、次第にトルコは不穏な情勢となり、革命の気配が濃厚になります。そんな中、村田は日本に帰ることになります。日本に帰ってからもトルコでの日々を思い出し、もう一度そこで学び、みんなに会いたいと思うのですが…。

輝いていた日々が紛争とともに消え去ってしまうこと、儚いな…と思いました。一つの国が新しい方向へ向かうために、いったい何人の命が失われるのでしょうか。
ですが、思いは風化されずにいつまでも残るのですね。

ところで日本での下宿先があの高堂の家だったんですね。ちょっとだけでしたが、高堂も綿貫もちゃんと出てきて話もするので嬉しかったです^^

「家守綺譚」とは雰囲気が違いますが、言葉の美しさは同様です。異国の風を感じたい方におすすめです^^