黒百合  多島斗志之

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ミステリとして高い評価を受けるこの作品を、ようやく手に取りました。舞台を考えると、夏に読むのにふさわしい本ですね。

1952年に夏の避暑地で出会った少年少女たちの、ひと夏の思い出と恋を描いています。しかし、大人達を巡る過去の出来事が、思いがけぬところで事件へとつながっていきます。

メインは青春小説で、進と一彦が倉沢香の言動に一喜一憂する様子はほのぼのと初々しいです。彼らにとって大人達の事情は全く与り知らぬことであり、事件そのものと恋物語にはつながりはありません。にも関わらず、彼らが出会ったことが事件の一端を担ってしまっているこの悲劇を、何と表現したら良いのでしょう。

青春小説以外のパートで、進の父と一彦の父が17年前に外国で相田真千子という女性に出会う物語、そして香の叔母である倉沢日登美の恋愛、それに関わって起きた殺人についてが語られます。相田真千子の名前はその後ずっと出てこなくなり、登場人物の誰かが彼女であることが予想できます。彼女と事件とはどんなつながりがあるのか…それは終盤まで巧妙に隠されたままです。

このあと超ネタバレありです。未読の方はご注意下さい。


















この物語の複雑なところは、ミスリードのための登場人物が多いところです。六甲で喫茶店を経営している「六甲の女王」。年齢からいっても彼女が相田真千子ではないかと思わせるように書かれています。また、顔を見せないままの日登美の夫は足を引きずっていて、足に大怪我を負った殺人犯につながる特徴を備えています。
そして最大のミスリードは何と言っても日登美の恋愛についてです。ここで「黒ユリお千」のエピソードと「黒百合」という題名がクローズアップされて来ます。「お千」という名前から、彼女が真千子であることは分かりましたが、まさか彼女が○○だとは…。
不良であったという彼女の過去、ドイツの法律を知りながらユダヤ人を匿った出来事が、彼女の気性と並々ならぬ行動力を表しているエピソードだと思いました。
一方で犯人が電車の運転手であったこと、日登美の夫も電車の運転ができることなどを強調しながら、読者をミスリードしていく巧さには唸らされました。
進と一彦がこの避暑地で香と出会ってしまったことは、犯人にとって「いつかは…」と予想された出来事だったはずです。犯人は倉沢家の人間がいる六甲に来るべきではなかったのに、周囲の好意を断り切れなかったのでしょう。そして、一彦が口にした「ビュイック買うぐらいの金は貯めてある」の一言が、倉沢貴代司を強請りに走らせたことなど、期せずして第二の殺人へとつながって行ってしまっているのです。

香は十年後に一彦と結婚しますが、そうなると事件の被害者と加害者の子供同士が結婚したことになります。犯人以外の登場人物の誰も事実を知らないままに物語の幕は下ろされますが、その真相の重さは読者の心の中だけに残ります。
(ネタバレ終わり)



















何て巧みな構成なのでしょう。読み直すと、あちこちに事件の伏線となっている事実が隠されていることに気づきます。少年達の爽やかな恋物語の陰で、こんな暗い思惑が展開されているとは…。
素晴らしいミステリを読みました。多島さん、ぜひ戻ってきて再び作品を書いて頂きたいものです。