本よみうり堂 道尾さんの文章を読んで

日曜日の読売新聞には「本よみうり堂」というページがあり、その中の「HONライン倶楽部」という作家さんが登場するコーナーは、今回道尾秀介さんでした。
この道尾さんの文章に感銘を受けたので、全文載せてみたいと思います。


「6つの単語だけで小説が書けるかどうか、ヘミングウェイがバーで友人と賭けをした。けっきょく大作家はその賭けに勝ったのだが、何年も経って自分の最高傑作は何かと訊かれたとき、彼はそのときの作品を答えたらしい。どんな作品かというと―。

For sale:baby shoes, never worn.(売ります・赤ちゃん用の靴。未使用)

言葉というのは小さくて単純で、子供でも扱えるほど手軽なものだけれど、その中には
こんなにも大きな世界を封じ込めることができる。科学技術が発達して、手の平サイズの機械に大量のデータを仕舞っておける時代だが、言葉以上に容量のあるデバイスは未だ存在しない。何故といえば、人の脳みそに直接はたらきかけられるのは言葉だけだからだ。言葉は人に情報を与えるだけでなく、呼び水のように作用する。脳の中にある、本人さえ知らなかったものを、無限に引き出すことができる。そして誰も見たことのない風景や感情を目の前に描き出し、肉声よりも肉声に近い声を耳に聴かせる。少なくとも僕はそう信じているし、だから作家をやっている。そして小説を書く以上、文章でしかできないことをやろうと心に決めている。
言葉が持つ可能性を、追いかけつづけたい。だから、同じことを二度やりたくない。
そうなると、刊行される作品がどれも毛色の違ったものになってしまい、読んでくれている人の好みに合ったり合わなかったりする。そのことを密かに申し訳なく思いつつ、それでも自分の本を買いつづけてくれる人がいることに、心から感謝している。」
 

ヘミングウェイの文章の素晴らしさ。それを取り上げた道尾さんの、言葉へのこだわり、作家としての思い。言葉の持つ無限の可能性。この道尾さんの文にこそ、言葉の力を感じた人も多かったのではないでしょうか。

前に読んだ京極さんのインタビューで、「(作品の登場人物について聞かれて)テキストから読み取って下さい」と返事をされているのを読んだことがあります。
1つの文章から読み取れることは、読者によってさまざまです。それぞれの受け取り方があって良いというのが京極さんの考え方であり、それは道尾さんの文章にも通じていると思います。

蛇足ながら、ヘミングウェイの文章について。

未使用の赤ちゃん用の靴。売りに出したのはたぶん親でしょう。靴を履かせる日を楽しみに、歩くようになる前から買っておいたのだと思います。しかし、赤ちゃんは不幸なことに靴を履く前に亡くなってしまいました。両親はその靴を取っておくか手放すかできっと悩んだことでしょう。でも結局、どこかで生まれた新しい命のために、自分たちの愛する子供の靴を役立ててほしいと売りに出したのでしょう。

これはあくまでも私の解釈ですので、また別の読み取り方があるかも知れません。でも、それでいいんですよね。言葉によって広がる無限の世界。ほんとに、言葉って、本って素敵です。道尾さんの文章で、改めてそう思いました。
そして、道尾さんの作品をこれからも読んでいきたいと思います。