1Q84 Book1,2  村上春樹

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予備校の数学教師をする傍ら、小説家を志している天吾は、ふかえり(深田絵里子)という少女が書いた小説「空気さなぎ」の書き直しを依頼されます。
一方、スポーツインストラクターの青豆(名字です)は、女性に暴力をふるう男性を「別の世界に送る」裏の仕事を持っています。
この二人の物語が交互に語られて行きます。これは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」でも使われた手法です。

読み始めてすぐに思ったのは村上さんらしい数々の比喩のことです。
「まるで舳先に立って不吉な潮目を読む老練な猟師のように」(タクシーの運転手の様子)
「それがミニチュアの架空の雲みたいにぽっかり浮かんでいた」(タクシー運転手との会話がとぎれた後の沈黙について)
「開いた窓から一群の鳥が部屋に飛び込んでくるみたいに」(クラシック曲を聞いて浮かんだ知識について)
出だしのほんの数ページの中に村上ワールドがすでに展開しつつあると感じました。おなじみの「やれやれ」も健在です。

青豆は高速道路で渋滞に遭い、途中の非常階段を降りたことをきっかけに、今までの1984年の世界から、『1Q84』という微妙に違う世界に入ってしまいます。天吾が書き直した「空気さなぎ」の中の世界では月が2つあり、『1Q84』にも月が2つあるのです。そのことから、「空気さなぎ」の世界と青豆が入った『1Q84』がつながっている、もしくは同じものであることが予想できます。

物語の中で重要な意味を持つのが「リトル・ピープル」と呼ばれるものたちです。ふかえりが小さい頃過ごしていた宗教団体「さきがけ」で遭遇したと思われる存在で、空気さなぎを紡ぐものとして、ふかえりの物語の中にも登場します。
ジョージ・オーウェルの「1984」(未読です^^;)に出てくる「ビッグ・ブラザー」に相当する存在として描かれているのがこの「リトル・ピープル」です。しかし「ビッグ・ブラザー」はスターリン的な権力の象徴として描かれているそうですが「リトル・ピープル」はつかみどころのない「リトル・ピープルは目に見えない存在だ。それが善きものか悪しきものか、実体があるのかないのか、それすら我々にはわからない」ものとして描かれ、その正体は分からないままです。
最初は不気味な、良くないものを感じさせる存在としてとらえていましたが、読み進めるうちに私は、「運命のような大いなるものの使者」のように感じ始めました。しかし「リトル・ピープル」については様々な解釈が可能だと思います。

登場するおもな人物はそれぞれ大人の都合によって振り回され、または蹂躙された過去を持っています。また、現実にあった、宗教団体の教祖による信者の少女達への暴行事件を下敷きにしていると思われ、そういった理不尽なものへのレジスタンスという意味合いが物語に込められているのではないかと感じました。

この物語の特徴で、違和感が拭えなかったのは性的な表現の多さです。露悪的と思えるほどでした。しかし村上作品での性的表現は言葉こそ直接的ですが、乾いていて扇情的ではありません。Book2までの青豆と天吾の関係がプラトニックで純粋な愛情に裏打ちされたものであることから、それと相対するものとして書かれたのではないかと受け取りました。

Book2を読み終わって、「リトル・ピープル」の正体、天吾の父親のこと、青豆のその後など、様々な謎が解決されないままです。それが、先日発売予定が発表されたBook3で分かるのでしょうか。青豆を必ず見つけると誓った天吾の台詞から、これから二人が実際に関わり合う物語が始まるのではないかと思っています。青豆と天吾、天吾と家族、天吾とふかえり、ふかえりと家族、今まで失われていた、彼らをつなぐ絆を掘り起こすことがこの物語のテーマなのかも知れません。「リトル・ピープル」がその中でどんな役割を果たすのか…今後注目していきたいところです。