西瓜糖の日々  リチャード・ブローティガン

イメージ 1

共同体「アイデス(iDEATH)」に住む人々の暮らしを淡々とした筆致で描いた幻想小説です。全体は大きく3編に分けられ、その中の章は短く区切られていて、物語のイメージも相まってまるで詩を読んでいるようです。

アイデスにある多くの物は西瓜を煮詰めて作った西瓜糖を使って作られています。服にも、油にも、建物にも、生活の中のありとあらゆる物に使われているのです。この世界では、曜日によって太陽の色が違い、その色に合わせてとれる西瓜の色も違います。その西瓜から、赤や、黄金色や、黒や青など七色の砂糖がとれ、色によってその用途も異なっているようです。「西瓜糖」という言葉の持つ甘く涼しげで透明なイメージが、この作品を美しく彩っているように感じます。

そんな不思議な世界で、名前を持たない主人公と、恋人のポーリーン、友人のフレッドとチャーリーたちは、ここでの慣習に従いながら静かで穏やかに過ごしています。生活は満ち足りているように見えます。実際、タイトル「西瓜糖の日々(In Watermelon Sugar)」は、「We lived in clover(我々は何不足なく暮らした)」から発想を取っているといいます。ですが、アイデスという名前から感じられるように、その背後には死の影がつきまとっているのです。

かつて「虎の時代」と呼ばれた時代があり、その頃アイデスには人の言葉を話す虎が住んでいました。主人公は両親を虎に喰い殺された過去を持っています。虎はアイデスの人々によって絶滅します。
また、アイデスの対極として描かれている「忘れられた世界」には、滅亡した文明の遺物が山のように堆積し、人々が近づかない場所になっています。そこに住むインボイルとその仲間達はすさんだ生活を送っています。
これらとともに、主人公の元恋人であるマーガレットが、主人公の生活をおびやかしています。

西瓜糖の甘く美しい世界と、死と暴力の匂いのする不穏な世界が対比されるのがこの作品の大きな特徴です。そしてその二つの世界を川の中から静かに見つめる鱒たち。ブローティガンは「アメリカの鱒釣り」という作品も書いていますが、「西瓜糖~」での鱒は全てを見通す神のような特別な存在なのでしょうか。
現実を考えると、美しいものだけをみて平穏に暮らすことは難しいでしょう。しかしそうあろうとする西瓜糖の世界は、忘れられた世界の中に、生きていくために大切な物を置いてきてしまったのかも知れません。外に目を向けることができたマーガレットは、失われた物を取り戻そうとする役目を担っていたのではないかとも思いました。
しかし不都合なものは全て遠ざけられ、アイデスの人々はこれからも自分達の世界だけに目を向け、静かに暮らしていくのでしょう。

知らなかったのですが、西瓜糖というものは実際にあるんですね。必要な栄養素を補いながら、余分なものを排出する作用を持っているそうで、健康食品として扱われているようです。「余分なものを排出する」というあたり、この西瓜糖の世界に通じるものがあると思いました。

現実とは似て非なる世界を描き、物語の中を流れる死の影と喪失感という共通点から村上春樹さんを思い浮かべる人も多いでしょう。ですがこの静謐な雰囲気に満ちた詩的な世界は、読んだ人の心にきっと新しいイメージをもって根を下ろすことは間違いないと思います。

巻末の柴田元幸さんの解説も素晴らしく、この本にぴったりだと感じました。