家守綺譚  梨木香歩

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時はたぶん明治時代、亡くなった友人の家の管理を任された、駆け出しの物書きである綿貫が、家や周辺で出会う不思議なもの達との関わりを綴った作品です。日記という体裁なので、章ごとの改ページがなく、すぐ続けて次の章が始まるのがそれらしい雰囲気です。

章にはすべて植物、特に日本人になじみのある木や草花の名前がつけられていて、物語の中に効果的に、またはさりげなく使われています。そして日頃の生活の中に何気なく、人ではないもの達がともに過ごしています。
亡くなった友人の高堂が掛け軸の中をボートを漕いで現れたというのに、綿貫は「どうした高堂」とそれが当たり前のことのように受け入れています^^;サルスベリの木に懸想され、狸に化かされ、河童に衣を返し…という出来事が、周囲の人も含めてそれが日常になっているんですね。出てくる人でないもの達も、何かおっとりととぼけた味わいがあります。

一つ一つの章に込められた四季折々の風情は日本ならではのものです。夕暮れ時にひぐらしの声を聞くような情趣が、全体を通して感じられます。日本っていいなあと思います^^

この物語になくてはならないのが犬のゴローです。綿貫についてきて、高堂に頼まれて渋々飼うことになったのですが、鷺と河童の諍いの仲裁をするようなできた犬で(笑)その上風雅を解するのです。綿貫よりもしっかりしてるようなそんな気さえします。隣のおかみさんにかわいがられ、綿貫もそのうち情が移って、肉を買ってきたり小屋を建てたりしてかわいがるようになります。

特に印象に残った章を挙げます。
「ダァリヤ」
前の章でゴローがいなくなり心配していたところふいに帰ってきます。その喜びで高揚した気分の時、以前から気になっていたダリアの花の庭で、娘に声をかけます。それから綿貫は彼女のことを「ダァリヤの君」と呼び、心に懸けるようになります。ダリアの花の燃え立つような赤と、浮き立った綿貫の心が明るく夏らしい章です。

カラスウリ
踏み抜いた板の間からカラスウリが生え、それが天井いっぱいに蔓を伸ばして行きます。困りながらも情が移り、見逃しているうちに緑の東屋のようになりレースのような白い花が咲きます。その合間に見つけたヤモリ(家守)に自分をふと投影してつぶやく一言がいいです。あとの章で、このカラスウリには朱色の実が鈴なりになります。目に浮かぶ色も美しいです。

木槿
友人である考古学者の村田が土耳古(トルコ)に招聘され、綿貫は庭の一角である砂山に「土耳古」と名をつけてそれを見ながら遠い異国の友に思いを馳せます。ゴローにも羊の風情を出してほしい、と思ったり、子供のごっこ遊びのような発想が楽しいです。村田の物語は「村田エフェンディ滞土録 」として別の本にまとめられています。

檸檬
雪の降る駅で誰かを待つ風情のダァリヤの君に出会います。「リュウノヒゲ」という植物から連想してゲーテの「ミニヨンの歌」の詩を2人で暗唱します。別れ際にダァリヤの君はまだ青い檸檬をくれます。「ミニヨンの歌」の最も有名な一節「君よ知るや南の国…」で始まる詩には檸檬が出てくるのです。檸檬と詩を通してふいに南の島の風を感じるような爽やかさが素敵です。

「葡萄」
高堂のいる世界を知りたいと思い、知らぬ間にそこにたどり着いた綿貫は、そこにいるもの達に葡萄を勧められます。これを食べるともう帰れなくなるのでは…という発想は、ギリシャ神話の柘榴の話のようです。
綿貫の思いがけず凛とした態度と、相手を傷つけたのではないかとそのあととって返して、穏やかな言い方に言い換えるところが何ともいいですね^^

どの章もとても美しく儚げで、夢とも現ともつかぬ風情が心に残ります。この本を開くたびに、しんと静かで不思議な世界に入って行けそうな、そんな宝物のような一冊になりました^^